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長野簡易裁判所 昭和40年(ろ)78号 判決

被告人 西条良知

主文

被告人は、無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四〇年三月一九日午後二時一〇分頃、軽四輪貨物自動車(六長う五四七号)を運転し、長野県上水内郡信州新町大字新町六七一番地先の交通整理の行なわれていない交差点を西進中、北方に右折するにあたり、右折の合図をし徐行しつつ、対向車両または右側の並進車両及び後続車両との安全を確認すべき業務上の注意義務があるのに、その合図をしたが、あらかじめ十分道路の中央に寄らず、後続する吉沢守男(当五〇年)運転の自動二輪車(第二種原動機付自転車)との安全を確認することなく、時速約一〇粁乃至二〇粁で進行した過失により、同車に自車を衝突させて、同人をその場に転倒させ、よつて同人をして、同年三月二〇日午前五時五分ころ、同町大字上条一三七番地新町病院において、頭蓋骨骨折による脳内出血により死亡するに至らしめたものである。」、というにある。

ところで、右公訴事実における過失の点を除き、その他の事実は一件記録中の各証拠によつて、これを認めることができる。

そこで本件致死につき、被告人に業務上の注意義務懈怠による過失があるかどうかを検討するに、被告人の当公判廷における供述、検察官並に司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書(昭和四一年五月二八日付及び昭和四二年四月一八日付)、証人小池和枝、同西沢正充、同小林正昭、同徳永登、同北田実に対する各証人尋問調書、証人金井保、同吉沢道子の当公判廷の各供述を総合すれば、つぎの各事実が認められる。

一、本件事故現場は、信州新町の略中央を東西に走る国道十九号線と町道が丁字型に交差する交差点で、右国道は幅員約七・六五米のコンクリート舗装で、長野市から松本市方面に通ずる主要幹線道路に該当し、右町道は幅員約七・三五米を有するが、北方約四〇米で同町の旧街道に連接し、いわばつなぎ道路に該当するものである事実並に右国道上の現場から東方に向つての見とおし状況は、略直線であり比較的良好ではあるが、現場から東方へ約四〇米位までは、約一度の上り勾配で、更に同所から東方約五〇米までは、約三度の下り勾配となつているため、本件現場から東方約九〇米の地点にある八十二銀行新町支店附近から更に東方に該る道路の見とおしは、やや困難な状況である事実。

二、被告人運転の車両はマツダ六四年型自家用軽四輪貨物自動車六長う五四七号(以下A車と略称する)で、その車長約三米、車幅約一・一八米、車高約一・七〇米を有し、吉沢守男が当時運転していた自動二輪車は、コレダSB一型一二五ccの第二種原動機付自転車信州新町三三一号(以下B車と略称する)で、車長約二米、車幅約〇・六五米、車高約一米を有するものである事実。

三、被告人は、前記八十二銀行新町支店前に駐車して置いた右A車を運転して道路上に進出後、後部窓から後方を確認したところ、約一〇米後方に小池和枝運転の乗用自動車(ブルーバード)を、更に東方道路上約六〇米以上の地点に停車中と見られるトラツク一台を発見したがそのまま時速約三〇粁で西方に向つて進行し、右交差点の東方約三〇米の地点において、右折のため、方向指示燈を点滅して右折の合図をなし、それまでの速度を時速約二〇粁乃至一〇粁に減速徐行しながら、道路中央線寄りを約一五米西進した個所において再びルームミラーで後方を確認したところ、右小池和枝運転の右乗用自動車が東方道路左側を前同様約一〇米の間隔を置いて追従しているのを認め、更に同所から約一二・三〇米進行した上、右折の態勢に移行すべく、交差点に向いハンドルを右に切なりがらバツクミラーにより東後方を確認したところ、右斜後方約七・六五米の地点に吉沢守男運転のB車を認め、危険を感じて、急ブレーキをかけたが間に合わず約〇・五米のスリツプ痕を残してB車と接触し、B車はA車の右前輪ホイルキヤツプ付近を擦過し、ついで同車のフロントバンバー右側部分を突きはずして曲損し、右側バツクミラーを道路上にとび散らせた上、右側に傾きながら約九米滑走した後転倒し、右吉沢はB車から約一・六五米西方のコンクリート道路上に転倒したものである事実。

四、吉沢守男は本件当時、信州新町南中学校に公仕として勤務していたが、本件当日本件現場から東方約四粁の同町追沢地籍の塩入儀作方に葬儀があり、これに参列のため、右中学校所有のB車を借用して赴き、同日一時半頃葬儀を終了し、その後参列者約四〇名位の者が酒肴の接待を受け、右吉沢も約三十分位飲食をなしたが、その頃当時右中学に勤務していた妻の吉沢道子から二回に亘り公務急用の電話連絡があり、早急に帰校するよう催促を受け、この為右守男は酒席なかばで、右塩入方を辞去し、急拠高速度で右学校に向い、途中多数の車両を追越したものと推認できるような方法で本件現場にさしかかり、まづ小池和枝運転の普通乗用車を追越し、つづいてA車を追越そうとして本件事故に遭遇したもので、当時吉沢は、制限時速四〇粁を約二〇粁超過する約六〇粁位(右六〇粁の点は後に明らかにする)の速度で、而も相当酒に酔い、運転は当然避けなければならない状態で運転を継続していたものと認められる事実。並にB車がA車の右側を追越そうとした際における右B車と道路右(北)側端との間隔は約二・五〇米余であり、同車の前示車幅〇・六五米から見るとB車は右A車から十分な間隔を取つて通過できる状況にあつた事実。並にB車は右に寄ることなく中心線から約一米余の地点を一直線に西進したものである事実。

五、当裁判所の検証調書(昭和四一年五月二八日付)によれば、本件事故発生直前にA車がB車を発見した地点(右検証調書見取図(3) の地点)から右A車が進行した距離は約一・四米であり、右B車と衝突地点(検証調書(×)に該当する個所)との距離は約八・三〇米であるから、B車はA車の約六倍の速度で進行していたことになり、A車は当時時速約一〇粁以下に減速していたことは前記スリツプ痕(スリツプ痕が〇・五〇米の場合の速度は時速九・一粁位となる)により明らかであるから、結局衝突直前におけるB車の速度は時速約六〇粁以上であつたことは、算数上明らかであり、A車の当時の秒速は約二・八米であるから、A車は〇・五秒の間に約一・四米進行し、B車はその六倍に該る約八・三米進行したことになり、証人小池和枝の証言中「アツという間に追い抜いて行き、アツと言う間に衝突した」旨の供述は、蓋し右B車の衝突時点における速度の早さを如実に物語るものと認めるべきである。右B車の速度につき、被告人は当公判廷において時速約八〇粁であつたと供述しているが、本件道路は前記の如く主要幹線であり交通も頻繁である点及び右算数上の計算を併せ考えると右被告人の供述は、にわかに措借しがたいところである。右認定に徴すると吉沢は終始時速約六〇粁で進行していたものと見るのが相当であり、被告人は、前記八十二銀行前から右折の目的をもつて順次中央線に寄り且前示の如く順次減速して進行したものであり、右所要時間を前示各区間の距離と速度を対比して算出すれば合計約一四・四秒を要したことになり、一方右吉沢の秒速は約一六・七米(改訂道路交通法付録一表自動車秒速一覧表参照)であるから、これに右秒数を乗ずれば約二四〇・四八米となり、これから右被告人の走行距離約八七・三〇米を差引くと約一五三・一八米となるが、これにA車とB車の衝突直前における東西の間隔(右検証調書(イ)点と(×)を結ぶ線上に存する点で、(3) の地点から直角に北方に延長した交点と右(イ)点との間の距離に該当するもの)約七・五六米を加算すると約一六一米となり、これによるとA車が右銀行前を発進した際、B車は右A車から約一六一米後方を進行しつつあつたもので、更にA車が前示の如く方向指示燈を点滅して右折の合図をした際、B車は約一〇一米東方道路上にあり、更にA車が時速約二〇粁で約一五米進行して更に後方を確認して右折の態勢に移行した際のB車の進行地点はA車から約七一米東方に該る地点にあつたことは算数上概ね認めうるところである。これによれば、被告人がA車の運転席から右B車の存在を確認することは、距離的に見ても容易でなく、前記の如き勾配の状況、後続車両の存在等の事情も加わり予見可能性の極めて乏しい状況にあつたものと認めるのが相当である。

六、当時A車は後部荷台に幌をかけており、したがつて後方の見とおしは若干さまたげられる状況にあつたのであるが仮に右の如き幌がなかつたとしても、前認定の如くB車とA車とは約七〇米余の距離があり且前記の如き勾配及び後続車両等の関係から見れば、いづれにしても確認困難な状況にあつたものと認められる事実。

七、小池和枝運転の普通乗用車(ブルーバード)は前記八十二銀行前から終始約一〇米の間隔を保ちつつ、A車に追従し、やや道路の左側寄りを進行していたが前記衝突地点の東方約二〇米の地点で右吉沢運転のB車に追越された途端前記のように右B車はA車の前部に衝突するに至つたものであり、右事実は、右小池の「アツと言う間にぶつかつた。バックミラーのとんで行くのを見た」旨の供述によりこれを肯認できるところである。

以上認定の各事実を総合すれば、吉沢守男は前認定の如く、妻吉沢道子から電話をもつて早急に帰校するよう催促され、酒酔いの為気分も大きくなり、天馬空を行く如き状態で、B車を運転し、順次先行車両を追越し、本件交差点直前において前認定の如く小池和枝のブルーバードを追越すと殆んど同時に右A車と衝突するに至つたものと認めるのが相当である。結局右吉沢はアルコールの影響により正常な運転ができないおそれのある状態にありながら早急に帰校したい一念から制限時速四〇粁を約二〇粁超過する約六〇粁の高速度で右学校めがけて突進し、このため本件交差点の手前約三〇米の地点において、既に方向指示燈により右折の合図をして、道路中央線に寄り進行していたA車を認めることができず、殆んど一直線に道路中央線寄りを進行して右交差点に突入したもので、その過失は極めて重大であつたものといわねばならない。一方被告人は前示認定の如く、本件事故発生地点の約九〇米位前から右折の目的で後方を確認し、更に本件交差点の手前約三〇米の地点において方向指示燈を点滅して右折の合図をなし、順次中央線寄りの個所を約二〇粁乃至一〇粁位の速度で西方に向つて約一五米進行し、同所において更に後方を確認したが前記の如くB車は未だ視界内に認めうる状態になかつたので、そのまま約一二・三〇米進行して右折を開始しつつ更に後方を確認したところ、右B車が突如として右斜後方約七・六五米の地点に接近していたもので、右発見の時点までは、通常の方法をもつてしては、右B車を認めることは極めて困難な位置及び間隔にあつた事実換言すれば過失責任の前提である客観的予見可能性が皆無に近い状態にあつた事実が認められ、これによると被告人は前方及び左右の注視義務を完全に近いまでに履行し、殊に後方の車両に対しては方向指示燈を点滅して右折の合図をなし、その後も再三に亘りバツクミラー或はルームミラー或は後方窓からできる限りの確認義務を履行していたものと認めるのが相当であり、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

然るところ、検察官は本件事故は、被告人が右折にあたり、道路交通法所定の交差点の中心の直近内側を右折しなければならない義務を履行せず交差点に入る以前に右折した注意義務懈怠がその主要な一因をなすものである旨の主張をするので按ずるに、なるほど道路交通法によれば運転者たる者は、検察官主張の如き基本的義務を負うものであるが、本件交差点は、被告人の進行方向から見れば、いわばトの字型の変形丁字路であるため、被告人が本件交差点の中心点の直近内側を右折するためには極めて急角度の右折方法をとらねばならず、且被告人の当公判廷の供述によれば右交差道路(前記つなぎ道路)の西側(左側)道路上には停車中の車両も存在した事実も一応うかがい知ることも可能な本件では、ハンドルの切換までは要しないものとしても、極めて急角度の右折を余儀なくされる状況にあり、一方司法警察員作成の実況見分調書添付の現場見取図表示のA車の進行方向の図示と交差点の中心点に該当する地点の相関関係及び同調書の作成者金井保の供述記載(同調書八枚目裏二行目以下)によれば、A車は交差点の中心点近くまで進行した上、右折しようとしていたものである事実も窺知できる点等彼比考察すれば、被告人の本件右折方法が一概に法規に違反してなされたものとにわかに認められず、仮に被告人が法規通りの合義務的右折方法をとつたとしても別個の事故発生の危険がないものとは言えず、被告人が早い速度で中心点に至つてその直近内側を右折したことにより、かえつて大きな事故発生となつたかも知れないのであり、これにより被告人の過失を肯定するわけには行かない。

これを要するに右の如く結果から推断して事故の不発生の可能性があるからといつて、直に被告人の過失を肯定することはできないものというべきである。

もつとも、被告人の検察官に対する供述調書中には、「この事故は、私としては、十分注意して右に曲ろうとしていたが、少し早く右折の態勢に出たことはよくなかつたと思う。もう一つセンターラインに寄るときに、追従車がないかどうかもう一度よく確認すればよかったと思う。私のうしろをついて来る普通乗用車が私の右折の合図を見て左側に寄つてくれたので、他には追従車はあるまいと考えて右折の態勢に入りハンドルを右に切つてしまつたのです」。との供述記載があり、恰も自己の過失を認めた如き記載があるが、これは、被告人自身の考え或は事後における判断を述べただけのことであつて、これにより当裁判所の前示認定を左右しうべきものではない。

更に被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年三月二〇日付五枚目表三行目から裏一行目まで)には「交差点の中心のすぐ内側によろうと思つて、運転台の中のバツクミラーを見ると後方約四・八〇メートルの〈イ〉の地点に第二種原動機付自転車を運転して、私の後方から続いてくる小池組の営業車とそのあとからついてきたトラツクを追越して私のすぐ右後方にやつてくるのが見えた」旨の供述記載があり、これによると被告人は後続する二台の車両を追越して来るB車を前もつて確認しており従つてB車の速度及び進行状況につき予見可能性が存在し、これに伴い回避可能性も存在したのではないかとの考え方もあろうと思われるが、この供述も亦当裁判所の前示認定を左右しうるものではない。

要するに本件衝突による致死の主要因は、前認定の如き、被害者吉沢が前方注視を怠り合図の右折に気づかず、而も酒に酔い高速度で暴走し漫然交差点に向い直進した無謀操縦による一方的な過失に基因するものと認めるべく、被告人には後方確認及び右折方法につきいまだ刑事上処罰に値するだけの過失はないものと認めるのが相当である。以上の次第であるから、本件については、弁護人主張の信頼の原則の適用の有無に論及するまでもなく、犯罪の証明十分とは認めがたいので、刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡す。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 豊島伝之)

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